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【後編】隣の芝生は、緑色でした。Vol.1「音楽を仕事にする32歳の人生」

隣の芝生は、緑色でした。Vol.1
「音楽を仕事にする32歳の人生 ー後編ー」

毎年1000人を集めるフェス『寝待月のショー』を個人で開催する、尾藤知史さん。とあるキャンプ場を8月のお盆前後に2日間貸し切り、2018年は26組のアーティストを参加させた。

そんな輝かしく見える彼の、そこそこ泥臭い人生にフォーカスしていく。前編では、彼が音楽を始めるまでの学生時代の話や、フェスの2日間のために9か月で働いて資金を作る生活、フェスを開催するきっかけなどの話を聞いた。

後半では、フェスの裏側や、開催に秘める想い、今後の展開などを詳しく聞いていく。




チケットが12枚しか売れず震えた

手探りで動き始めた『寝待月のショー』。アーティストに出演依頼をしながら、場所を確保し、なんとかチケットを販売するところまでこぎつけた。尾藤さんたちの想いは日々高まっていたのだが、いざふたを開けてみると散々だった。

チケット発売開始の1週間で売れたのが、12枚。

“これにはさすがに鳥肌が立った。やばいと思いました。

今思えば当然なんですが、出演者のラインナップも3組しか出してなかったんですね。お客さんにとって、今までに聞いたこともない、詳細もほぼ未定のイベントに対してチケットを買うというのはかなりリスキーなのもわかります。でも1000人を見込んでいたので、1/100という現実に震えました。”

広告を打ったり、地道に近隣店舗へチラシを置いてもらいながら、その年は最終的には750人くらいの観客動員数だったそうだ。スタッフも、初年度は知り合いに声をかけたり、ボランティアスタッフを一般募集したり、周囲の力を借りて何とか開催にこぎつける。

しかし、ショーの途中から豪雨に襲われ、苦渋の中止を決断した。森の中という場所が醍醐味のフェスだからこそ、天候リスクは常に付きまとう。

“第1回目の開催が本当にしんどくて、その後1年間はイベントを一切できなかったほどでした。


ここに、寝待月のショーのプレッシャーがどのくらいなのか、分かりやすいエピソードがある。

“アーティストにも満足いく金額を払えるわけではないので、仲が良い遠方の出演者を自宅に泊めることがあります。無事その年の開催が終わり、その日はアマゾン松田っていう沖縄を拠点に活動しているアーティストが来ていました。自分も久しぶりに家に帰って寝れたんですけど…。しばらくして、パッと目を覚ましたら、携帯の電池が切れていて。そのアーティストに何時か聞いたら、「9時ですよ」と言われました。

そしたら僕が「これは遅刻だ!主催者が遅刻するわけにはいかない!」と飛び起きたらしくて。もう寝待月のショーは終わっているのに、自分の身体はまだイベントが進行中だったんですね。彼が「いやいやもう終わってますよ」と僕の体を触ると、冷たくてガチガチだった。それくらいの中で動いているので、体重も激減する。その時だけじゃなく、今年もありました。”

筆者はこの時、自分はこれほどの挑戦をしたことがあっただろうかと胸がチクリとした。

寝待月のショーには、彼の10か月の労働の対価がそのまま投入される。観客も各日平均して800人くらいは入るようになった。それでも利益はほとんど手元に残らないそうだ。マイナスの時もある。フェスは儲からないらしい。

さらに、来場者が1000人クラスのイベントを開催するには、大勢のスタッフが必要不可欠である。例年、支えてくれるスタッフの受け入れ態勢も模索しているそうだ。

“今やっているのは、半日働いたら半日は遊んでよくて、Tシャツとご飯は出しますというスタイルです。無償で手伝ってもらうというのはあまりやりたくないので、しっかり日当を出して思い出を作ってファンになってもらえるような仕掛けを作っていきたいですね。今年は自分の右腕になるような人を中心において、大半を任せました。”

「びっくん(尾藤さん)が言うならやるよ」と言ってくれる人もたくさんいるが、去っていった人もそれなりにいた。理由は「コミュニケーション不足だったのでは」と尾藤さんは語る。

“全体像を伝えながら細かいタスクをお願いできたらいいんですが、自分も余裕がなく、これがあれば成立するという最小限の情報を勝手に決めて伝えていました。そのため直近になると自分もやることがありすぎて、相手の疑問や不安に対して全フォローができないんです。

もちろん辞めたいと言われて引き留めはするけど、1から10まで面倒見れるわけではないので深追いはしませんでした。それもトライ&エラーしながらだったので、今後は裏方を回すテンプレートを作っていきたいと思っています。”

何でも最初から上手くいくわけではない。継続していくことが大事。

「子どもたちが大きくなった時に、思い出してくれたらいい」

なぜそこまで大変な思いをしながらでもやり続けられるのだろうか?これは初めて彼に会ったときに、失礼ながらに聞いた時の話だ。

“自分が昔野球をして遊んだ場所、ザリガニをとった川、楽しかった思い出の景色が、今ではひとつもなくなってるんです。過去を思い返した時に、過去を美化したらダメだと言い聞かせるくらい、きれいな思い出がいっぱいある。だけど、その場所はもうない。これがとても悲しくて。

今小さい子が来てくれるけど、その子が大きくなったとき、同じ場所があるのかなと疑問に思いました。住んでいる環境やイベント、何かも含めて、懐かしみながら同じ体験をできることってどれくらいあるのだろうかと…。”

だからこそ、子どもたちが大人になったとき、「暑くて大変だったけど、ここでこんな音楽を聴いたんだよ、こんなイベントがあったんだよ」といつでも帰れる場所を残したかったのだという。

“誰かにとっては深い思い出になるかもしれないし、それをお粗末にしたくはないと思いました。桐生キャンプ場は、すごくいい。だから、向こうに止めてくれと言われない限り、この森で形を変えてでも継続させることをテーマにしています。自分がおじいちゃんになる50年後も開催していたいですね。”

きっと、目を閉じると見えてくる、きれいな色や音、匂いであふれる思い出が彼を支えているのだろう、そう思った。

思い出が自分を支えてくれることがある。

自分の苦労も、誰かのすてきな思い出になればそれでいい。

居心地の良さに危機感を感じて

寝待月のショーは、まだまだ未完成。本人は「完成度は3割くらい」と話していた。今は50年先を見据えて、空間演出に挑戦しているそう。スピンオフイベントなども仕掛けていて、沖縄での第3弾は3月31日に開催される(アマゾン松田バンドを始め、5組が参加する予定)。

まさにこれからの展開を聞こうとしていたインタビューの終盤、自身が過ごす環境を近々変える話を教えてもらった。

“実は、東京に引っ越すことにしたんですよ。”

どうやら、ちょっと退屈になってきたらしい。規模の大きいイベントをするようになって、自分の考えることや行動していることに対して、真剣に突っこんでくれる人があまりいなくなったという。日々の活動拠点は東京において、フェスやイベントのために時々滋賀に戻るスタイルになるそうだ。

“なにか街と自分が一致していない感じを受けるようになったんです。海釣りの道具を持って琵琶湖に行っても、鯛は釣れないじゃないですか。目指すものがある場所、近づける場所にいないと。一緒にいる人たちは楽しいけれど、楽しさが心地よくて、やらなければならないことをおろそかにしてはいけないと思って。

「東京に行って何になるの?別にどこでも一緒でしょ」という人も沢山いるんですよ。でも、そうじゃなくて、「まあうまくいかなくて帰って来たら俺んとこ来いよ」って言ってくれる人がいたらありがたいですよね。”

音楽と全く関係のない仕事で、フェスの資金作りをしていた日々からは離れる。「音響の仕事は手に職がついていると言えるから、仕事として伸ばしたいと考えてる」との想いを実現する一歩。しかしながら、今回の東京は、ある程度仕事が見えているから行くそうだ。「小心者だから何もないところにいきなり飛び込める性格ではない。」とはにかんだ。

みんな何もないところに飛び込めるほど勇敢ではない。

でも、仕事と、住む場所と、付き合う人は変えられる。

一つか二つのきっかけと、死にはしないの気構えがあれば

いろいろチャレンジし続ける自分自身についての評価や、何かに悩んでいる人に向けて伝えたいことを聞いてみた。

“ものすごくチャレンジャーではないし、何としてでも何かを作り出すんだという感じもないですよ。むしろ、ちょっとこれはいけるぞ、と担保になるものがないと踏み出せないんです。

今回も東京じゃなくて海外は選択肢になかったのかと言われると、ハッとしちゃうくらい安全パイだと思う。周りから見たら無鉄砲と思われやすいんだけど。多分、一つか二つのきっかけと、死にはしないっていう気構えがあれば、何でも大丈夫だって思ってるんでしょうね。

ただ、特にここから10年は僕自身がすごく変わると思っています。42歳になったら体としては全然動いても、勢いに任せたガッツプレイはなかなかできないこともある。そうと考えると、やはりここからが勝負。トータルの人生の中で一番の激動になる予感がします。”

また、自分に言い聞かせるように、こうも話していた。

“小さなことでも、行動してみることだと思います。それが、誰かにとっては大きなことかもしれないし、何も変わらないかもしれない。でも迷っているのであれば、じっとしていても迷いはなくならない。この考え方は大事にしていきたいです。”

〝choose life〟

何年か後に試行錯誤の結果を聞かせてもらう約束とともに、再び彼は歩き始める。


おまけ

前編でも紹介した、一時は映画翻訳も目指した彼が好きな映画。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)

『SHAME』(2011)

『サイモン・バーチ』(1998)

寝待月のショーツイッター https://twitter.com/nemachizukishow
2018年の寝待月のショー公式サイト http://nemachizukinoshow.com/
nemutamerecords公式サイト http://nemutamerecords.com/wp/


by
1987年生まれ 山形県出身・滋賀県在住 どこに移動しても、楽しくたくましく暮らすのが目標。そのために、主に仕事やプライベート、心地よい居場所作りをテーマに研究中。
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