「自分は特別な人間じゃないのかもしれない」と気づく時がある。
その時、筆者は20代半ばだった。それをぬぐおうと必死で背伸びした。心と体がバラバラだった。死んだ魚の目をしているとも言われ、本当に毎日が辛くて仕方なかった。自分の人生はこのままなんだろうか…そんな不安と格闘していた。
あれから季節が何度か巡り、環境や価値観も変わってきた。
誰かの言動でざわついたり、迷うこともある。
でも、それはそれ。少しずつそう思えるようになってきたのは、30代になり、いろいろな人の様々な形の楽しさや幸せがあることを知ったからかもしれない。
このシリーズでは、一見輝かしい人生を歩み、周りからは羨ましく見えるが、決して特別ではない普通の人生を取り上げる。でも、心から楽しんで暮らしている人たちの人生である。
それらを通して自分を振り返り、自分も案外幸せなのかもしれないと考えられるきっかけにしてほしい。
隣の芝生は、青くない。
自分が最高であるということ。
芝生は緑色。物事をありのままで受け入れられるように。
第1弾は、輝かしく見える音楽業界で生活している人の、そこそこ泥臭い人生にフォーカスしていく。
隣の芝生は、緑色でした。Vol.1
『寝待月のショー』という、毎年1000人を集めるフェスが滋賀にある。8月のお盆前後、とある森の中のキャンプ場を2日間貸し切って開催され、2018年は26組のアーティストが参加した。まだまだ余白があり、50年先を見据えて進化し続けているフェスだ。
このフェスをゼロから立ち上げ、今も個人で運営している人物がいる。
尾藤知史、32歳。ちょっと猫背気味の164㎝、50㎏。
音響の仕事をしつつ、自ら曲を作りアーティスト活動もするなど、ずっと音楽業界で過ごしてきた。髪の毛が緑になったり金になったり、遠目の印象からは少し近寄りがたいが、華奢で気さくな人でもある。
京都の田舎生まれで、両親は普通の会社員。今までの人生には特別な出来事があったわけではないという彼に、なんでそんなに大変なフェスを開催するんですか?と失礼ながらに聞いた。
「子どもたちが大きくなった時に、思い出してくれたらいいんです。」それが尾藤さんの答えだった。
同世代にして、肩ひじ張らずにつぶやける彼の姿が忘れられず、もっと話を聞きたいと思った。
音楽業界の人ってどんな生活をしているのだろうか。
そんな疑問を抱きながら聞いた彼の日々は、意外と泥臭いものだった。
“普段は、『寝待月のショー』の資金を作るために、派遣や知り合いの会社で、音楽と全く関係なく働いてます。フェスが8月にあって、前後数ヶ月はそれに掛かりかかりっきりですね。もともと細いのに、開催前はさらに体重が激減します(笑)。フェスが終わるとしばらく引きこもって、また次のフェスに向けて動き出す感じですね。”
平日は、派遣社員として会社員をしている。8時出社の17時退勤。18時から22時までは馴染みの飲食店で働いている。土日はイベントやライブの音響の仕事で埋まる。休みという概念はない。
派遣の仕事では変にメンタルのダメージを受けないように、無表情で過ごす。心の中ではいろいろ言いもするけれど、8時間の勤務でいかに消費しないかを考えているそうだ。
働くのは全て、フェスの2日間のため。
“家にはテレビもありません。漫画があると読んでしまうから、置かないようにしています。何していたか分からない無駄な時間がないようにしているんです。でも、別にストイックなわけじゃないと思いますよ。空いた時間は人と会ったり、大好きな音楽や映画鑑賞にあてたりしてますね。”
今の働き方は「結構不器用だ」と認識しているとのこと。せっかく音楽や音響の技術を身に付けたんだから、それを活かして平日の会社員として過ごしている時間を、音楽の仕事の時間に代えたいなと考えているようだ。
手段を選ばす、ただ純粋に努力することが必要な時期もある。
小学生の頃は、全く音楽とは縁がなかった。野球をしていて、少年野球の副キャプテンまで勤めた。しかし中学校では体格で明らかに運動能力の差があると感じ、野球はやらなかったそうだ。
そんな尾藤さんが音楽を始めたきっかけは、中学校の文化祭だという。有志でバンドをやることになり、メンバーの誰も音楽の経験がない中で、じゃんけんでベースと出会った。本格的にのめり込んでいったのは、高校生になってからのこと。
“進学した高校は、同じ中学校の友達が誰もいなかったんです。ナメられたらまずい、何かポジションを確立せねばと思い、音楽をネタにすることにしました。こいつとは仲良くなっとかないとヤバいなとか、こいつは気が合いそうだと考えた時に、音楽の話は良い入り口になるんですよ。”
当時、音楽とは別に英語にものめり込んでいた。英会話を習ったことで、映画の翻訳家という仕事も知ったという。そこを目指す道もあったが、バンドに力を入れ始めて自然とそれは消え、専門学校も音楽の道を選んだ。
尾藤さんには、10代の頃ずっと自分を支えてくれたバンドがある。JUDY AND MARYだ。自分のバンドのライブ前は緊張するので、縁起を担ぐためにいつも聞いてたという。
”あんな小さい体の人(ボーカルのYUKI)が2時間半たった一人で歌っているんです。YUKIがいなきゃ成立しない。それを見ると勇気をもらえます。「同じ人間なのにYUKIができて俺ができないわけない」という風に自己暗示をかけていましたね。”
バンドの練習やライブに明け暮れる毎日。しかし、バンドとバイトばかりで卒業があやしくなる。別に遊んでいたわけではなかった。バンドもバイトも夜の時間帯なので、睡眠不足で授業中に寝てしまったのだ。
“いよいよ卒業ができなくなるかもしれない、そんな時に親から言われたのは「学校はスキルを学ぶ為でなく、社会性を学ぶために行ってほしい」という言葉でした。今でも鮮明に覚えていますね。”
そこから奮起して補講でなんとか頑張って卒業することができ、ライブハウスBLUEで働き始めた。
当事者の時は、何のためにそれをやっているかが分からないことが多い。
年長者や経験者から言葉をかけてもらえる人、聞ける人でありたい。
ライブハウスで3年間働いたのち、東京へ行って働くも、半年持たずに滋賀に戻る。その後は京都の帽子屋や居酒屋で店長として働くなど、次第に音楽から離れた生活となった。
しかし、お世話になった人に声を掛けられ音楽の仕事を再開する。同じ音響の仕事場で働いたレコーディングエンジニアさんに言われた言葉があった。
「常に良い環境で音楽を聴きなさい」
“良い環境とは良いスピーカーのことなんですけど、それを分かりやすく言うと、ボリュームを下げても解像度が高いということなんです。大きい音を出せばそれなりにどの音も聞こえてくるけど、ボリュームを下げるとどんどん聞こえなくなっていく音が絶対あるんですよね。それもきっちり再生してくれるスピーカーは上を見たらきりはないけど、いろんなスピーカーを聴いて回って、常夏の梅田でEVE AUDIOの『EVE SC205』に辿り着きました。悩みに悩んだあの時からずっと、その言葉は守ってきたと言えますね。”
そういう環境で聞いていると、綺麗な音楽は良いなと思うが、逆にさぼってる音楽もわかるらしい。
“僕も自分で曲を作ってミックスする作業をするけれど、作り手の意思とか気持ちとか、何かしらが見えるのは良い音楽かなと思いますよね。今はスマホとかパソコンで音楽聞く人が多いので、作り手もそれらのツールに合わせて完成度を下げてしまっているんですよ。そんなに良いものを作る必要がなくなっているとも言えるんですけど。それでもやっぱりしっかり音楽を作ろうとしている人もいて、そういうのを聴くと良いなと思います。”
EVEと共に、次第に今に繋がる“耳”が鍛えられていった。
そして、音響の仕事に復帰してしばらく経ち、自身が手掛けるレーベル「nemutame records」をスタート、自らもアーティスト活動WOWを開始させる。2012年8月に1作の「WOW THE HABIT」をリリース。ここからまた音楽にどっぷりと浸かっていく。
少し背伸びをすると、後に見る世界が変わってくることがある。
日々音楽活動をする中で、なぜ彼が大規模なフェスを開催するに至ったのかが、不思議だった。そこには何かきっかけがあったのだろうか。
“以前バンドをやっていた頃に、自分たち主催のイベントで100人くらいは集めていました。でも、それくらいのイベントをやっても、次の月曜にはすでに過去のことになってしまう。自分はセッティングやら音響やら、片付けまでやって、翌日はへとへとで何もできない。黒字の時もあれば赤字の時もある。そんな繰り返しで、何をしているんだろうと思ったんですよね。そこから、もっと大きい規模で、忘れられないくらいのことをやりたいと思いました。”
そんな中で、たまたま仲間たちと飲んでいたノリから、後々会場となる『桐生キャンプ場』(滋賀県大津市)で100人規模のBBQをやる機会が訪れる。
“せっかくなら音楽がほしいと思い、スピーカーも用意して音楽を楽しんでもらいました。初めて訪れた場所でしたが、他にはない、こんな良い場所があるんだと感じました。ここで何かやりたいと思えましたね。”
ほどなくして、フェスのアイデアを思いつく。自身の世界観を共有できる、絵描きでありアーティストのmaisさんに相談した。もう一人、時任そねみさんという年下の人と3人で立ち上げに至る。
それが、『寝待月のショー』である。
フェスを開催するのに、「何がどれくらいかかるとか全く分からなかった」と尾藤さんは語る。もちろん担保になるお金もあったわけではない。
しかし、自分のあまり細かいことは気にしない性格のおかげで、とりあえず開催しようとひた走ることができた。
“アイデアを思いつくのは得意だけど、そこから細かく詰めていくのは苦手。結構詰めが甘いんですよ。でも、あまり気にせず飛び込めるからこそ、今のフェスをやれていると思う。多分、収支とかちゃんと考えられたらできないと思います。”
寝待月のショー、はなかなか珍しい名前なのだが、その由来はこうだ。
“月は「魅惑の月」で、綺麗な満月の日は事故率が上がるとも言われたりします。なので全ての事柄は良いことばかりではなく、表裏一体であると言うことも好きな要因の一つ。だから「月」を使おうと思いました。でも、『満月◯◯』というネーミングは世の中では使い古されていて。月に関して良い言葉を探して、「寝待月」に辿り着きました。心待ちに寝て待つというところもグッときて、これに決めましたね。”
自分の性格だからこそできること、できないことを理解できている人は強い。
そして、勢いで進むことも必要な時がある。
後編では、『寝待月のショー』の背景にある「子どもたちが大きくなった時に、思い出してくれたらいい」という想い、フェスを開催する中での話(苦労している話や実際儲かるのか…など)、自身のこれからの話を聞いていく。
おまけ
一時は映画翻訳を目指した彼が好きな映画を5つ挙げてもらった。
前編では2つ紹介。残りは後編にて。
心動かされたい時にみる映画たちだそうだ。
『グランド・ブダぺスト・ホテル』(2014)
『アメリカン・ビューティー』(1999)
寝待月のショー 公式Twitter https://twitter.com/nemachizukishow
寝待月のショー2018 公式サイト http://nemachizukinoshow.com/
nemutamerecords 公式サイト http://nemutamerecords.com/wp/