ここ数年の私の人生の指針。
1本の太い綱より、細くてもたくさんの綱。
いつかのためよりも、今を楽しく生きる。
いわば余生の前借り。
綱の話は、ジャーナリストの佐々木俊尚さんがよくおっしゃっている話に感化された。
後半の話は、ちきりんさんの本だったと思う。
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仕事であっても、所属するコミュニティであっても、
何か一つに依存すると、それが絶たれたときのリスクが半端ない。
昨日、農業を愛する人たちのイベントに参加していたのだけど、
まさに農業などはわかりやすい事例だと思う。
昨今の異常気象などで、一夜にして今まで築き上げたものが崩れる瞬間もある。
コロナも然りで、何がいつどうなるかなんてよくわからない。
だから、他に選択肢がないというのはちょっと怖い。
いくつか選択肢(逃げ道)があれば、まあなんとかなると思えるし、精神的にも強くいられる。例えいくつかがダメになってもリカバリーが早いはずだ。
そういう意味で、仕事をやって、畑もやって、パンも焼いて、柔術で体を鍛えている夫と、あまり稼げてないけどいろいろ浅く広くやっている私の夫婦は割と強い方と思う。
選択肢があるって豊かで強い。
これは誰しもが頭では理解している話だと思う。
高齢になってから余生を満喫するよりも、
若くて動けるうちにいろいろ楽しめたほうがいいよねというもの。
膝が悪かったら金比羅さんも登れないし。
家族との時間を犠牲にして仕事ばかりをしていると、
気づいた時には子供は大きくなり一緒に遊んでくれなくなる。
65歳から1日6時間、20年くらいフリーな時間があるとする。
=365日×6時間×20年
=43800時間
30歳から65歳まで、週5で8時間働くと…
=35年×月20日×12ヶ月×8時間
=67200時間
この余生を楽しめる時間と、働いている時間を足すと、
約111,000時間
自分で選ぼうと思えばいろいろ選択できる時間。
そのうちの余生は40%くらい。
そんなに後半戦にフリータイムが控えているんだったら、
今のうちに消化しておいてもいいよなと思う。
わかりやすく毎年1ヶ月くらいバカンスを取ったとして、
それでも35年で6300時間の消化。
余生の14%
もっともっと前倒ししないともったいなさそうだ。
暇ですることがないと、それはそれでしんどいことはコロナでよくわかったはず。
別に遊ぶことばかりではなく、
好きなことに没頭できる、そんな没頭できることを見つける時間に当てるのも大事だと思う。
この何万時間もの仕事している時間が、
ずっと苦痛だったら本当に辛い。
少しでも楽しく、面白いなと思いながらできたら嬉しい。
一つのことばかりだと飽きるし、リスクの問題もあるので、
何年かごとにいろいろ試してみるのが良いと思っている。
よく何屋さんですか?みたいに聞かれたり、定義すること、専門性をつきつめることを求められたりもするけれど、その時興味関心があるものに没頭して、満足したら次に行く‥そんな感じが私にあっているなと気づいた。
時代もそうなりつつあると思う。
1万時間の法則というものがあって、
ある分野を1万時間極めたらその道のプロになれるというやつ。
どうせ11万時間くらいあるんだったら、
5個くらいはいろいろ試しても悪くないな。
あとはぐーたらしてもいいし。
いろいろ試して、好きなら続くし、ダメなら次。
お金になればそれはそれで良い。
仕事がなかったら、どこだって働けばいい。
ダウンキャリアだって、収入減少したって、
心から楽しんで生きてる人には敵わない。
でも、経済的余裕がないと、楽しいことをする心の余裕はできない。
安定した収入源の確保は蔑ろにしない。
そんなスタンスで、
人生楽しく行きたいなと思います。